老若男女、誰からも愛された志村けんさん。
デビュー当時はイケメンだったと話題になっています。
そんな志村けんさんの若い頃の姿をドリフ時代から時系列で紹介します。
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志村けんは若い頃イケメンだった!
志村けんさんの若い頃の雰囲気がよくわかる写真です。
志村けんさんは若い頃に、当時人気絶頂だった沢田研二さんに似ていると言われたほどイケメンキャラでした。
沢田研二さんの写真はこちら。
沢田研二さんもかっこいいですね。
そして志村けんさんは沢田研二さんに似ていますね。
志村けんさんと沢田研二さんのは同じ事務所に所属しており、志村けんさんが沢田研二さんのコンサートの前座なども務めることもありました。
志村けんさんがドリフターズに入ったばかりの1970年代には、「8時だよ!全員集合!」「ドリフの大爆笑」などの番組で沢田研二さんと共演していました。
それでは志村けんさんの若い頃からのイケメン画像を順番に見ていきましょう!
志村けんのデビュー前からイケメン
1968年 高校3年生
1968年に高校卒業アルバムの写真がこちらこちらです。
志村けんさんは高校3年生の2月にいかりや長介さんの家に押しかけて弟子入りを志願しました。
雪の中、12時間以上も帰宅を待ち続けてしつこく食い下がったあげく、バンドメンバーに欠員がでたらと言われたものの1週間後に採用となりました。
最初は加藤茶さんの付き人となり、一年後に一度脱走したものの、ふたたびお笑いの世界に帰ってきました。
志村けんのイケメン画像をドリフ時代から時系列で!
1974年 ドリフ加入時代
志村けんさんは24歳の時に脱退した荒井注さんに代わってドリフのメンバーに加入しました。
若い頃は人気が絶大だったので相当モテたと思います。
ドリフへの正式加入は加藤茶さんの推薦でした。
その後、だんだんとお茶の間の人気者になりますが、ブレイクするまではしばらく時間がかかります。
1976年 東村山音頭でブレイク
志村けんさんがブレイクしたのは伝説のお笑い番組「8時だよ全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を踊ったことがきっかけでした。
これをきっかけに志村けんの生まれ故郷の「東村山市」が全国的に有名になりお、市民のみなさんも志村けんさんに感謝しているようです。
1979年 ヒゲダンス
「8時だよ全員集合」ではヒゲダンスが大人気となりました!
加藤茶さんとのコンビが絶妙でしたね!
1986年 加トちゃんケンちゃんのごきげんテレビ
1986年に加藤茶さんと志村けんさんで初の冠番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まりました。
コント番組が日本のお茶間に広がるきっかけとなった番組で、1987年11月21日に最高視聴率36.0%を叩き出しました。番組放送期間中の平均視聴率は18.6%した。
志村けんさんの代表的なギャグの「だいじょうぶだぁ」もこの番組で誕生しました。
1986年 志村けんのバカ殿
言わずと知れた「志村けんのバカ殿様」もこの年から始まりました。最後の放送は2020年1月となりました。
1987年 志村けんのだいじょうぶだぁ
1987年には志村けんさん単独での冠番組「だいじょうぶだぁ」の放送スタート。
志村けんさんの笑いの集大成となる番組となり、「変なおじさん」「いいよなおじさん」「ひとみおばさん」などの数々の伝説的な人気キャラクターが誕生しました。
1998年 鉄道員ぽっぽや
1998年に公開された映画「鉄道員ぽっぽや」に出演しました。
本人はお笑い以外の作品に出演するつもりはないと断っていました。
あるとき髙倉健さん本人から「弟子入り志願の高倉健ですけども、明日は寒いですけど気をつけてお越しください」と留守番電話が入っており出演することにしたそうです。
2004年 志村どうぶつ園
「志村どうぶつ園」は動物たちの可愛らしい行動に注目し、珍行動を紹介していく動物バライティです。
志村けんさんはこの番組の園長として司会を続けており、亡くなったときもレギュラーで継続して出演していました。
おさるのパンくんとの交流が微笑しく、志村けんさんの優しい笑顔が印象的でした。